丸山空大講師、日本宗教学会賞受賞インタビュー

~自分にとって本当に大切な問いをみつけるということ~

本学の丸山空大(まるやま たかお)講師著『フランツ・ローゼンツヴァイク 生と啓示の哲学』(慶應義塾大学出版会)が、2019年度日本宗教学会賞を受賞し、2019年9月13日(金)〜15日(日)に帝京科学大学にて開催された日本宗教学会第78回学術大会において表彰されました。

本賞は、宗教の学問的研究を振興する目的で、日本宗教学会が設立した賞です。

著者の丸山先生にお話を伺いました。

——丸山先生、ご著書の『フランツ・ローゼンツヴァイク 生と啓示の哲学』が、日本宗教学会賞を受賞されたとのこと、おめでとうございます!

ありがとうございます。

——いろいろと本書のことをお伺いしたいのですが、まずは、自己紹介をお願いします。

丸山空大(まるやまたかお)と申します。近現代のドイツ・ユダヤ人社会、ユダヤ人思想家の思想を中心に研究しています。本学には2017年に着任し、宗教学を担当しています。

——受賞のお気持ちは?

まずはたいへん驚きました。日本宗教学会は比較的大きな学会ですので、たくさんの素晴らしい著作が賞の候補になっていたはずですし、受賞はまったく想像しておりませんでした。とてもうれしいですし、ありがたいことだと思っております。

——この本は、先生のこれまでのローゼンツヴァイク研究の総決算とのことですが、この研究をはじめたきっかけは?

ローゼンツヴァイクについては、修士課程に進学したころから研究しております。数えると、かれこれもう15年この人について研究しているわけで、自分でも驚きます。ちょっと長すぎるかもしれませんね(笑) ローゼンツヴァイクの研究をはじめたきっかけは、あまりカッコいいものではありません。当時、卒業論文でマルティン・ブーバーという哲学者の思想(対話の哲学)をとりあげました。この人は日本でもよく知られた哲学者なので、ご存知の方もいるかもしれません。『我と汝』という本が有名です。ぜひ読んでみてください。しかし彼の著作に親しむにつれ、彼が直観的に論じる思想家だということ、そして、意見を変えることをおそれない人だということ、それは思想家としては大変勇気のいることなのですが、そのようなことがわかってきました。卒業論文はなんとか書いたのですが、引き続きブーバーを学問的研究の対象とすることは、その時点では難しいと思いました。ローゼンツヴァイクの名前はブーバーを研究するなかで知りました。なにやら、ブーバーと親交があり、その対話の哲学に大きな影響を与え、なおかつブーバーより理論的であるらしい。当時知っていたのは、この程度の情報だったと思うのですが、日本に研究している人もいないようだったので、実際には少しいたのですが、ローゼンツヴァイクの研究をしようと決めたのです。誰も研究していないのであれば、どんなことでも成果になるだろうと、けっこう安易に考えていたと思います。それが、十余年にわたる迷走のはじまりだったのですが(笑) のちに近い分野の研究者の方に、「誰も研究していないのにはそれなりの理由があるんだよ」と言われましたが、たしかにローゼンツヴァイクの思想をどうやってつかめばよいのかはむずかしく、簡単ではありませんでした。

——著書に込めた思いは?

本書は、博士論文に大幅に加筆したものなのですが、幸運なことに出版に当たって日本学術振興会の助成を受けることができました。そのおかげで、好きなように好きなだけ書くことができましたので、わたしの好奇心がめいっぱいつまっているといえると思います。

——本の見どころは?

この本は、ローゼンツヴァイクという人の思想の展開を青年期から最晩年まで丹念においかけたものです。彼の思想はこれまで、『救済の星』という主著を中心に語られてきました。しかしこれが、大変難解な書物で、いろいろな研究者がさまざまな解釈を提出して、ローゼンツヴァイクの思想とはこういうものだ、という見解を戦わせてきました。そのなかから創造的で生産的な解釈も多く生まれたのですが、しかし、同時代の読者にもよくわからないような著作を発表して、ローゼンツヴァイク自身はそもそも何がしたかったのだろうか、という問題は置き去りにされていました。わたしが彼の著作を読むうちに、知りたくなったのはまさにその部分でしたので、それを明らかにすべく、彼の思索の発展の舞台裏を探ろうと考えたのです。そのために、彼が当時読んでいた本や新聞を読んでみたり、彼が相手にしていた論壇の状況を調べたり、あるいはまた、個人的な日記や手紙を丁寧に読むことで彼が何を感じ何を問題視していたのかを探ったりしました。本書には、彼が大学生になったころから、43歳で亡くなるまでのいわば精神の遍歴が再構成されています。非常に個人的なきっかけから大胆な思想がうまれる様子や、ひとりの近代人が悩みながらも伝統的宗教を徐々に自らのものとしていき、あらたなアイデンティティを構築してゆく過程をみていただきたいです。

——著書、あるいは先生の研究は、現代の日本社会を考える上で、どのように結びつけることが可能ですか。

先ほどお答えしたように、わたしの個人的な好奇心をこれでもかというほど反映した本ですので、あまり直接的に何かの役に立つとか、現代日本のことを考える上で参考になるということはないような...(笑) ですので、結びつきがあるとすれば、現代社会を生きるわたしがこうした研究をおこなうそもそもの動機づけなどを介した、間接的なものでしょう。うまくできるかどうかわかりませんが、ちょっと説明してみたいと思います。この本は、ローゼンツヴァイクという個人の精神の遍歴について書いたものですが、彼が個人的なものとして経験し、悩み、思索した事柄は、不思議なことに単に個人的なものであるにとどまらず、一定の普遍性をもちました。実際、わたし自身も、研究の過程で彼が個人的に格闘した問題に心惹かれるようになりました。その結果、当初は理論的な著作である『救済の星』の成立に興味をもっていたのが、次第に彼の人生にとって重要であった問いとその展開に関心をもつようになり、最終的には『救済の星』以降の最晩年の宗教的活動や教育活動の背景にある思想を明らかにすることこそが大切だと考えるようになりました。本書が、伝記のような著作になったのはこのためです。

一例を挙げてみましょう。たとえばローゼンツヴァイクは友人との会話のなかで、それまでの自分が根底からゆらいでしまうような体験をもつのですが、そこから人間同士の真摯な対話がもつ不思議な力について考察していきます。人は呼びかけられると振り向きます。振り向いて相手の話をきくとき、しばしば相手の言葉はわたしたちのこころを楽しませたり、ときには深く傷つけたりもします。しかし、同じような呼びかけがまったく相手に届かないこともあります。あるいはまた、言葉の内容は伝達されるけれども、ただそれだけであるような言葉のやり取りもあります。こうしたことは当たり前の経験ですが、しかしよく考えると不思議なことではないでしょうか? 発される言葉が力をもつのはどのようなときか、そうした力を支えるものはなんなのか。ローゼンツヴァイクは、自身の経験からこうした問いを導きました。興味深いことに、この問いに答えるためには、さらに「人間とは何か」「言葉とは何か」「宗教とは何か」といった抽象的な問いを問い直す必要がありました。そのあとで、彼は自分なりの答えをみいだしたのです。

わたしが思うに、大切なのは、当たり前の、とくに疑問を感じることなく過ごしている日常のなかに、このような不思議な問いを発見し、答えを探していく、この一連の過程なのです。このような問いに対するローゼンツヴァイクの答え自体がかならずしも重要なわけではありません。思想史的には大変興味深いですが。このような当たり前の経験のなかから生じてくる問いが重要であるのは、それが「自分にとって本当に大切なもの」とか「自分が生きていくうえで本当に重要なこと」といった根本的な価値と、間接的に、しかし確実にかかわるからです。こうした価値自体は、おそらく直接問うことができないものです。たとえば、いきなり「自分にとって本当に大切なものは何か」と問いかけても、「自分」も「本当」も「大切」もわからない状態では、問い自体が意味をなしません。その状態でむりに答えれば、本当に大切なわけではない何かを、本当に大切なものとして誤認してしまうことにもなるでしょう。それは、自分自身の当たり前の経験のなかで、自分でみつけた問いをきっかけに、さまざまな抽象的な問いを経由して手繰り寄せていくしかないのだと思います。このとき、誰かほかの人が問いを発見する過程や、発見した問いは、わたしたち一人ひとりが自分自身の問いをみつけ、答えを探していくための手掛かりになると思うのです。本書も、あるいはわたしのおこなっている宗教思想研究も、こうした手掛かりを与えるものであればいいと考えています。

——最後に、在学生にひと言お願いします。

偉そうなことをいえる立場でもないのですが、そうですね、学校で勉強することや資格を取得すること、アルバイトをしてお金を稼ぐことや就活することは、もちろん皆さんの人生に直接かかわるとても大切なことなのですが、それだけでないさまざまな経験をしてほしいです。よく読み、よく旅をし、よく悩み、よく出会い、充実した学生生活をおくってほしいと思います!

——ありがとうございました。ご受賞、あらためておめでとうございます!

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