「この人たちのことばである言語、と関わる」 中山俊秀教授インタビュー

言語学との出会い

——本学のご出身だと伺いました。なぜ本学を受験しようと思ったのですか。

高校時代、興味があることはたくさんありましたが、積極的にこれがやりたい、ということは特にありませんでした。そのためかっこいい理由は何もなく、しいて言えば受験科目でしょうか。両親が英語教員でしたので英語が得意でしたし、世界史が好きで理系は苦手・・・、本当のことを言うとそれだけです。私が受験する年から、苦手だった国語が受験科目に加わって苦労しましたけど(笑)。東京外大の英米語学科を受験しましたが、英語学、英語教育、外国語などにはあまり興味がありませんでしたね。

——言語学に興味を持ったきっかけは。

本学の学部生だった頃は、言語そのものにはあまり興味が湧かなくて、哲学や国際関係などの授業をたくさん履修していました。特に哲学の授業が好きでしたが、哲学での議論や考えは結局ことばで作られていますよね。外大にいるとやはり言語ごとの表現法の違いなどを強く意識するようになりますが、使う言葉で物事の捉え方や議論の仕方が変わってしまわないのだろうか、ということがすごく気になったんです。その可能性が少しでもあるとしたら、言葉と思考の関係を深く突き詰めないで物事を考え語ろうとしても足をすくわれてしまうかもしれない、と思うようになり、言語に興味を持っていきました。そんな時に、当時本学で教鞭をとられていた文化人類学者で言語学者の西江雅之先生の「人類言語学」の授業を履修したのですが、それが、おもしろくて、おもしろくて。そして「サピア=ウォーフの仮説」と出会い・・・これだ、と思いました。その後、言語学の勉強会にも参加するようになりました。勉強会には、現在本学教員の、金指さん、匹田さんも参加していましたね。

——その後、本格的に言語学の道に進まれたのですね。

院生時代

日本の大学院では、概して、学部のうちにその学問の基礎をしっかり身につけておくことが期待されます。私は、学部では体系的に言語学を学んでいなかったので、日本の大学院に進学するのは難しかったんです。そんな時に、両親が留学してみたらどうかと勧めてくれて。ロータリー財団から支援を受けて、カンザス大学の大学院へ進学しました。アメリカの大学院は、カリキュラムがとてもしっかりしていて、取らなければいけないコースがたくさんあります。言語学の基礎知識がなくても大学院から体系だってしっかりと学べましたが、授業がびっしり詰まっていて、あえて取りたくないような授業も受けなければならない。先生方もとても面倒見が良かったですが、その分厳しくもあって、よく勉強しました。例えば音声学の厳しい先生の授業では、一つの単語を発音するのに、口の中でどの器官がどう動いていくのかを一つひとつコマ送りみたいに描写させられたりしました。でもそれを繰り返しおこなったおかげで、言語の音がどのように振る舞うのかということがよくわかるようになりました。これは、発音の仕方や言語の変化を理解する上で本当に役に立って、その厳しい先生に感謝です。その後、当時の指導教員の一人に、カリフォルニア大学サンターバーバラ校(UCSB)に新しい言語学プログラムができるから進学してみたらどうか、と勧められて、博士課程はUCSBに進学しました。

誰かのことばを研究する、コミュニティのための活動

——ヌートカ語との出会いは、その頃ですか。

学部生の頃から、誰も知らないような言語の研究をしてみたいというマイナー言語への憧れがありました。学部時代に、ゼミ教員だった宮岡伯人先生に相談したところ、北米の北西海岸部の言語は複雑で面白いとおっしゃっていました。それもあって、UCSBの時に、北米北西海岸言語の研究で有名な教授にどの言語が良いかと尋ねる手紙を書いたところ、10くらい選択肢をいただいたのですが、その中にあったのが「ヌートカ語」でした。ヌートカ語は「サピア=ウォーフの仮説」のエドワード・サピアもかなり研究した言語なので、運命的なものを感じました。

——ヌートカに調査に入るようになって、ヌートカの人々の生活習慣で驚いたことはありますか。

先住民といっても白人の生活と全く変わりませんでした。伝統的な生活をしている人はいなくて、そこが逆に驚きました。あと、価値観や社会の仕組みが日本の昔の田舎と似ていることかな。小さなコミュニティ故の似通いなのかもしれませんね。

——調査で苦労してきた点は。

院生時代 調査地にて

ヌートカの社会には、白人社会との確執が今でも存在しています。白人から虐げられてきた歴史と今でも続く差別、その中で進んだ伝統の崩壊に対する怒りや苦しさが感じられましたね。そのせいもあって、外部者への不信感は一般的に強いです。それでも、昔漁業などで接触があったりして日本人に対しては親しみを持ってくれていましたし、調査に協力してくださった話者の方々は遠くからよく来続けてくれると歓迎してくださいました。ただ、辛い過去の話や今の難しい問題の話を聞くたびに、自分が何もできないことを歯がゆいというか、申し訳ないような気持ちになりました。また、北米ではその歴史的背景から先住民研究の倫理性が強く問われるので、フィールドワーカーであること自体に漠然とした罪悪感を感じることもありますね。

——最近、特に取り組んでいることは。

最近は、言語分析より、言語の「再活性化」ということに力点を移してきました。そのきっかけとなったのは知り合いのヌートカのアーティストの言葉でした。ある時、彼が一緒に仕事をした人類学者にコミュニティでの問題解決に力を貸してほしいと頼んだところ、彼女が「研究者というものはコミュニティから学問的な距離をおくべきで、直接関わってはいけないんだ」と言ってきたというんです。それに対して彼は「そんなのは意味がわからない!調査に来ている段階でもう直接関わっているじゃないか!都合よく関わっていないフリをするのか!学問的距離など糞食らえだ。」と。その発言がグサっときました。私もそういうロジックで研究してきたんじゃないかと思ったんです。その時から、単なる「言語」ではなく「この人たちのことばである言語」との関わりについて深く考えるようになりました。そして、言語そのものの分析より、コミュニティのための活動の方に関心が移っていきました。

——具体的におこなっている取り組みはありますか。

タイの村でのワークショップ

うーん、そこがとても難しいんですよね。私は言語学者なので、コミュニティのための活動、といった時に、真っ先に考えたのが、文法教材を作ったり昔のお話を本にまとめたりして現地に還元するといったことでした。ところが、これがなかなか思うような成果を生み出しにくいんです。はじめは喜んでくれるのですが、関心を持ち続けて言葉を使うようにはならない。言語のことに集中していると言語に関する情報や教材さえあれば皆その言葉を使うようになるのではないか、と思いがちなのですが、そもそも言語が消滅の危機に瀕するようになるには理由があります。例えば、日本での方言を考えてみましょう。地域の方言はその土地の歴史の中で受け継がれてきた大事な伝統ですが、どんどん話す人が減ってきていてまさに消滅の危機に瀕した方言がたくさんあります。そうした現状を惜しむ声は多いですし、方言のことについて学校で扱ったりする機会も増えてきていますが、流暢な方言を話せるように方言教育をしたり、家庭でも努力したりするコミュニティはほとんどないでしょう。なぜかといえば、方言など話せるようになっても受験や就職に役立つ訳ではないという反応もあるでしょうし、方言はちゃんとした言葉ではない、恥ずかしい、と感じる人もいるでしょう。どの言葉を使うかは、そうした社会的な価値観や感情的なつながりなどが大きく関わっているのです。ヌートカ語などの少数民族の言葉も同じです。それでは、どうしたらその言語を再活性化できるか。言葉に対する否定的な価値観やイメージは傷ついたアイデンティティーや社会で起こっている問題と連動している部分が大きく、そうした社会面、意識面での価値や肯定感を作り出していかないと、積極的に伝統的な言葉を使おうという気持ちは起こりません。そこで、コミュニティ内の社会や意識をより良い方向に動かせるように、コミュニティの人たちと一緒に考えて解きほぐしていく。言語の再活性化というのはそういう社会の変化の中で進んでいくものなのだろうと思います。それは当然一筋縄ではいかないですし、時間がかかることですが、その過程もコミュニティに寄り添って考えていくことで初めて理解できて、またそれに貢献することができるのだろうと思っています。

中山俊秀(なかやまとしひで)
東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所 教授
1963年、静岡県生まれ。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。カンザス大学言語学研究科修了、カリフォルニア大学サンタバーバラ校言語学研究科修了。言語学博士。モントクレア州立大学人文社会学部言語学科の助手を経て、2001年に東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所に赴任。専門は、ヌートカ語学、言語類型論。

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