私のふるさとはベラルーシ:ペホータ・アレクサンドラさんインタビュー

かつてはソビエト連邦を構成した共和国で、1991年にソ連から独立したベラルーシ。西はポーランド、東はロシア、北はラトビアとリトアニア、南はウクライナに接する内陸国です。おそらく一度はニュースでその名前を聞いたことがあると思いますが、日本に住んでいてベラルーシについて知る機会はあまり多くはありません。

「私のふるさと〜外大生にインタビュー」第3弾。ベラルーシ・ミンスク出身のペホータ・アレクサンドラさん(言語文化学部イタリア語2年、以下愛称の「サーシャさん」)のふるさとを紹介します。ミンスクでの生活、ふるさとへの思い、日本での留学生活についてお話を聞きました。

インタビュー・取材担当:国際社会学部西南ヨーロッパ地域/イタリア語2年 牟田園小桃(むたぞのこもも)さん(広報マネジメント・オフィス学生取材班)

——こんにちは。サーシャさんは、ベラルーシのどの地域のご出身ですか。日本に来てどのくらいになるのでしょうか。

首都ミンスクの出身です。生まれてから日本に留学するまでの18年間をミンスクで過ごしました。日本語の勉強は、中学生だった13歳から始めました。学校とは別のコースで4年間ほど学習し、今から2年半前に来日して更なる勉強を進めました。

——日本に来て、ふるさとが恋しくなるときはありますか?また、恋しくなった時はどうしていますか?

日本に来てからこれまでに2回帰国しています。1回目の帰国は2019年8月の夏休みで、1か月ほどでした。18歳の時です。巣を離れたばかりだと、すぐ帰りたくなるじゃないですか。その時にふるさとを満喫できたので、しばらくは帰らなくても大丈夫だという気持ちになりました。しかしコロナ禍になり、帰れないというプレッシャーを感じました。帰りたい、帰らなくていい、帰れない、という気持ちが混ざっている状態で、自分の精神がわからなくなったんです。ふるさとへの恋しさ、懐かしさ、家族に会いたい気持ちが生活の全てに影響を与えるようになりました。ふるさとへの複雑な気持ちに振り回されるようになったんです。コロナ禍で余計に精神状態が不安定になっていたのだと思います。自分では自立していると思っていたのに、突然泣き出したりすることもあったくらいです。もうこれは帰らないわけにいかない、と思うようになりました。精神的に難しい状態になって、唯一の薬はふるさとに帰ることでした。コロナ禍でしたが今年3月に帰国しました。家族との時間をたっぷり過ごすことができ、自宅隔離があったことがありがたかったくらいです。

ふるさとを恋しく思う気持ちは、恋とか愛情を超えたような気持ちです。恋愛って説明しにくいじゃないですか?同じように説明のしづらい懐かしさです。恋している以上の気持ちでもあります。こんな感情を抱くなんて、人間の精神は不思議だなと思います。

みんなはふるさとを恋しく思うことをロマンチックで綺麗な感じに話すじゃないですか。でも私の中では、「恋しい」はとても辛いことなんです。本当に辛い気持ち。人それぞれだとは思いますが、私はこういう精神状態やプレッシャーが重なって帰国したくなります。

——ご家族と連絡はとっていますか?

妹とは、ほぼ毎日、おもしろい画像や映像を送りあうなど連絡を取り合っています。シェアしたいとか、笑ってもらいたいとかいう気持ちからかな。母とは週に一回ほどのペースで長電話をしています。したいからする。しなきゃいけないからじゃなくて、したいからする、という今の状態を楽しんでいます。

人によって家族との関係は異なっていると思います。私は来日してから家族との関係が良くなりました。特に家を出てから、母との関係が良くなりましたね。妹とは15年間ずっとルームシェアをしていたのでもともとお互いのパーソナルスペースはゼロでしたが、家を出てからよりいっそう仲良くなりました。やはり家族はかけがえのない存在だと改めて考えさせられました。

——ふるさとで食べた思い出の料理はありますか?

ベラルーシの食文化は日本の食文化とかなり違います。正式にはコースで出てくるのですが、私の家では省略して、一つのお皿にいくつかお惣菜をのせて食べることが多かったです。例えば、マッシュポテトやカツレツ、サラダなどを乗せて食べていました。ランチにはいろいろな具材を入れたスープを食べていました。ロシア料理のボルシチやキャベツを使う野菜スープのシーなどが多かったですが、他にもいろいろな種類のスープがあります。毎日お昼に食べていたので、今はそれがとても恋しいです。あと、家庭料理はこってりしているものが多いです。「ドラニキ」はご存知ですか。ドラニキは、すりおろしたじゃがいもや玉ねぎ、たまごを混ぜて平たく焼いたポテトパンケーキのようなものです。写真は割と小さいものですが、もっと大きいものだと中に肉が入っているのもあります。六本木に美味しいベラルーシ料理屋がありますが、やはり家庭料理は家庭によって違いますよね。私は母や祖母の味が恋しくなります。

ベラルーシ料理の「ドラニキ」

——北海道に行ったことがあるそうですね。ベラルーシと似ていましたか?

北海道は本当にミンスクとよく似ています。広くて、人が少なくて、人が優しくて、車が多くて、電車があまりない。あとは森が多い。店のすぐ隣に次の店があるわけじゃなくて、大きい店がぽつぽつとある感じも、ミンスクと同じで、すごく懐かしいなあと思いました。ミンスクの地下鉄の数は、札幌と同じで3線あります。乗ってみるととても雰囲気が似ていました。日本の北海道にいるはずなのに、ミンスクにいるみたいで、不思議な感じがしました。

気候も似ていましたね。ベラルーシも四季がはっきりしています。ベラルーシは、北海道と同じようによく雪が降るので、雪が恋しくて、日本でも雪を感じるために頻繁にスノボに出かけています。

ベラルーシの自然

——ミンスクと他の州はかなり違いますか?

都市部であるミンスク以外は、牧歌的な雰囲気のところが多いと言えるかもしれません。ベラルーシは農業国家で、まだまだ農業に頼っている人が多く、自分の畑で自分の食べるものを育てたいという人が多いですね。私はベラルーシのスーパーが好きでよく行きます。大型の店舗が多く、天井がとても高くて倉庫のようです。ゴミが減らせて環境にやさしい量り売りも好きです。プラスチック容器はほぼないですね。前はあったのですが、プラスチックを減らす政策が出されたんです。ひとりひとりのエコへの意識が高まりつつあると思います。エコや環境保護に興味がある人が多くて、若者もエコバッグを流行らせています。

——サーシャさんは、学部に進学をする前に本学の留学生日本語教育センターで1年間日本語の予備教育を受けたのですよね。日本語をしっかり身につけて学部に進学して、学部ではどのようなことに興味を持って学習をしているのでしょうか。

私はイタリア語専攻ですが、春学期だけで、教養外国語で朝鮮語を取り、そのほかにも、スペイン語、リトアニア語、フィンランド語、ハンガリー語の入門を取りました。私はいわゆる「言語オタク」なんです。春学期は言語への興味が湧いて仕方なかったですね。最近は、ビジネスや世界のトレンド、超域的なものに興味が湧いてきましたので、秋学期はそういった分野の科目も履修しています。言語だけではなくさまざまな分野の授業が履修できてありがたいと思っています。

——将来はまたミンスクで生活したいですか?

ミンスクに帰るのも選択肢の一つですが、私はさまざまなことに挑戦したい性格です。そして、そういう自分が好きです。一つのところに定住するより、いろんなところで、いろんな場面を迎え、いろんな人と出会いたいと思っています。今はまだわかりませんが、日本に残っても良いし、ヨーロッパやオーストラリアなどに行って、もう少し世界を知りたいなと思うこともあります。

——最後の質問になりますが、あなたにとって「ふるさと」とは何ですか?

私にとってふるさとは、いつもどこにいても心の中にあるもの。物理的に離れていても、お母さんも妹も弟もいつも心の中に居ます。友達ともずっと連絡をとっています。物理的には会えないけれど心の中に居るんです。

ベラルーシ人の日本語学習者コミュニティは、人数が少ないこともあり、だいたいお互いを知っているし、応援し合っています。在ベラルーシの日本語学習者や日本関係者も同様です。離れていても、繋がっていると日々感じています。それが私にとってのふるさと。こういう輪のような繋がり。

——場所だけではなくて、人との繋がりもふるさとだと感じているんですね。本日はありがとうございました!

インタビュー後記

サーシャさんのふるさとであるベラルーシについてのお話をお聞きしました。私自身は東京出身で今も東京に住んでいるので、彼女の遠く離れたふるさとに対する思いを聞いて、「ふるさとっていいな。」と温かな気持ちになりました。ふるさとを離れて過ごしているすべての方が共感できると思います。
私もサーシャさんと一緒にイタリア語を勉強していますが、彼女の生き生きとアクティブに学ぶ姿勢は周りに良い影響を与えてくれていると感じます。ベラルーシ語、ロシア語、英語、日本語、イタリア語などを話し、東京外大生活を目一杯楽しんでいる彼女にインタビューをすることができ、とても楽しかったです。
取材担当:牟田園小桃(国際社会学部西南ヨーロッパ地域/イタリア語2年)

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