「アフリカと紡ぐオーダーメイドの人生」 坂井真紀子准教授インタビュー

アフリカの農村社会学を専門とする東京外国語大学大学院総合国際学研究院の坂井真紀子准教授。2012年に国際社会学部アフリカ地域専攻が新設されてから、アフリカ地域代表教員として、アフリカ地域に理解をもつ人材の育成に貢献していきました。

今回のTUFS Todayでは、坂井准教授をインタビューしました。

インタビュー・取材担当:大学院博士前期課程2年・豊坂竹寿さん(広報マネジメント・オフィス学生取材班、研究協力課インターン)

左:坂井准教授 右:豊坂さん

アフリカとの出会い

——まずは、アフリカに最初に行かれた時のことをお伺いできたらと思います。研究旅行で行かれたのでしょうか。

最初は、半年弱の一人旅でアフリカに行きました。大学を卒業後、商社に就職したのですが、学部生の頃から興味を抱いたアフリカに、お金を貯めて行きたいと思っていました。ところが続かず、9か月でその商社を退職しました。

——アフリカに興味を持ったきっかけは?

大学では、社会学部で社会心理学を専攻していました。私の通っていた大学では当時、アフリカを研究している先生はいなかったのですが、コートジボワールがご専門のアジア経済研究所の原口武彦先生が非常勤講師で授業を開講されていました。その授業でフィールドの写真を沢山見せてくださって、それを見て「あー楽しそう」と思って(笑)。授業の課題でタンザニアをフィールドにしている人類学者の本を読んだのですが、村に住み込んで生活する様子がすごく面白いと思いました。電気も水道もないような村で、食べ物、言葉、生活文化、すべてが違うのに、村の人たちとわかりあえるんだろうかと思って、自分でも試してみたくなったんです。
その後、原口先生に「アフリカに興味があります」と年賀状を書いて、研究室を訪問しました。「アフリカをやりたいんだったらフランス語だよ」とアドバイスをいただいたんですが、その頃なぜか私は中国語ラブで、「私いま中国語で手一杯なのでフランス語はやりません」って(笑)。まさか将来やることになるとは思いませんでしたね。原口先生とは今もお付き合いがあります。
一方で、母と2人でUNHCRに寄付をするようになり、評論家で小説家の犬養道子さんの講演会に母と一緒に聴きに行きました。そこで、私たちの豊かな生活がまわりまわって発展途上国の木を切ることになり、飢餓が発生しているというようなことを知り、とてもショックを受けました。アフリカが気になるところになり、とにかく行ってみたいと思うようになりましたね。

——商社を退職した後に、すぐにアフリカに行かれたのですか。

いえ、その後しばらくアフリカへは行けなかったのですが、アフリカの農村部に住み込むには農業ができないといけないと思い、26歳くらいの時に、栃木県の「アジア学院」というプロテスタントの牧師さんが始めた学校法人で、住み込みのボランティアをしました。東南アジアやアフリカから来る1年間の研修生と一緒にドミトリーに住んで、有機農業をやりながら生活をするところです。そのときにアフリカからの研修生たちとお友達になることができたので、研修が終わって皆が母国に帰ったあとに、「遊びに行ってもいいですか」と手紙を送りました。皆、快諾してくれて。どういう順番で行くか地図を見ながら考えて、ケニアのナイロビからスタートして、友達を訪問するかたちでアフリカを旅しました。
最初に到着したナイロビではソマリ族の女の子たちと仲良くなりました。ソマリア難民のコミュニティがあって、着いたばっかりの時にファーストフードのお店で、料理の違いがわからなくて、目の前に並んでいた女の子にどれが美味しいか尋ねました。すごく親切に色々教えてくれて、着いたばかりだと聞いて自宅に招待してくれたり、お友達を紹介してくれたり、親戚の結婚式にも連れて行ってくれました。そのとき出された料理にラクダの干し肉が入っていたことにびっくりしました。ラクダ肉を噛みながら、「アフリカだぁ」と思いました(笑)。思いがけずソマリとの交流から旅が始まりました。

——アフリカ旅行の始まりですね。どのようなルートで旅をされたのでしょうか。

ナイロビからエチオピアに行って、またナイロビに戻って、さらにザンビアのコッパー・ベルトのキトウェというところに行きました。それからバスで南下してリビングストーンというジンバブエとの国境を徒歩で越えて、ザンビア側からとジンバブエ側からとビクトリアフォールズで遊び、ジンバブエでブラワヨとハラレを巡り、飛行機で南アフリカのヨハネスブルクに行きました。
南アが民主化する直前、1993年だったかな、とてもピリピリした雰囲気でした。到着して3日目くらいに1人で歩いていたら、白人と黒人の2人組の警官に「ここはすごく危ないから、今すぐ出ていった方がいいよ」って言われました。
その後、スワジランド(現:エスティワニ)で、アジア学院で友達になった方のお宅に3ヶ月ほどお世話になりました。お金でお礼をするのは気まずかったので働いて労働で返そうと思い、私は豚の世話係と野菜栽培をやりました。本当の娘のように可愛がってくれました。地元の人たちとも交流が濃かったですね。
この半年間のアフリカ旅がすごく楽しかったので、今度はきちんと仕事で長期滞在をしたいと思い、試行錯誤が始まりました。

小さいマキコといっしょに(セネガルにて)

——冒険家ですね!子供の頃から冒険好きだったのでしょうか。

皆さん信じてくれないんですけれど……私は暗くてあまり喋らない子供でした(笑)。小学校でも人前で喋るのが本当に苦手で、答えを知っている問題を出されても、絶対に手を挙げませんでしたね。今では、自分の学生に「みんなちょっと静かじゃない」とか言っちゃっていますけどね(笑)。
小学生低学年の頃、一人でバスに乗って図書館まで通っていたのですが、降りる時にボタンを押すのもすごく恥ずかしくてできませんでした。緊張して押せなくて、終点まで行ったこともあります。

——意外ですね。話は戻りますが、帰国後は、どのような試行錯誤の日々だったのでしょうか?

旅が終わって帰ってきたときにちょうどTICAD(アフリカ開発会議)があり、アフリカ関連のNGOの人たちも政策提言をするために盛り上がっていました。そこでNGO事務局のお手伝いをすることになりました。午前中はいろんなアルバイトをして、午後はNGOを手伝う日々でしたね。そんな時にチャドを拠点にしているNGOの代表から「チャドに来てみる?」と声がかかり行くことになりました。

——チャドではNGO職員としてどのような活動をされたのですか?

環境系のNGOで、砂漠化防止の活動をしていました。植林や、環境保全をしながら収量を上げるための農法のアドバイスをしていました。私はフランス語もおぼつかなかったので、コーディネーターとしてプロジェクトの管理や会計に携わりました。当時は、何をするかよりも、まずはアフリカに住みたい、生活したいという想いが強かったですね。

——実際に住んでみてどうでしたか?

住めば都ですよ(笑)。チャドはアフリカの中でも本当に何もない地域なんです。チャド人も自分たちの国のことを、砂と太陽と子供しかないって言うくらい(笑)。パッサパサに乾燥して暑くて太陽がギラギラしていて、ワーって子供が沢山いて。でもなんにもないって逆に潔くなって、なんにもないところで生活すると、あるもので工夫をするような思考回路は身につきます。そういう工夫は楽しいですね。

薪はこび体験(チャドにて)

——アフリカ農村の社会や経済をご専門にされていますが、ご関心はチャドの頃からでしょうか?

そうですね。NGOの援助でモノやお金を支援するわけですが、現地の人たちはそれを自分たちのロジックにうまく当てはめて生きていると感じました。そこではお金が、私たちが思っているようなニュートラルなものではなくて、稼ぎ方、使い方、マネジメントの仕方といった一つ一つの行為の中に、もっといろいろな意味がある。それがアフリカ農村部を理解するための鍵になるのかなと思いました。アフリカ農村部のお金の意味づけを言語化したいと思っています。
それから、お金とお金で換算しない世界の区別ですね。「お互い様でしょ」っていうところではお金を持ち込まないとか、それなりのルールを持っていると感じています。研究仲間の弘前大学の杉山祐子教授が「お金の道、食物の道、敬意の道」と表現しています。食べ物は皆にとって必要なものなので、分け合って当然、それを現金に換算するというロジックが通じないんです。そのようなモラルや重層的な関係性を言語化していきたいですね。

フィールドノート

新たな挑戦

——話は変わりますが、現在、タンザニアの子供たちに絵本を届けるクラウドファンディングに挑戦されていると伺いました。どのようなきっかけで始まったのですか?

フランスで博士号を取得した後に、タンザニアを研究拠点とするモラルエコノミー研究会の先生方に声をかけていただきました。その活動の中で、タンザニアのドドマというフィールドに通いはじめました。今回クラウドファンディングをしている絵本の舞台です。そのフィールドで、40年くらい現地に暮らし家族も持つ日本人女性の椿延子さんに出会いました。この絵本はその方のご経験がもとになっています。このプロジェクトは、宇都宮大学の阪本公美子さん、弘前大学の杉山祐子さんと3人で始めたものです。
椿さんは、支援活動の一環でいろいろなものを村に持っていってみるのですが、どれもうまくいかなかったそうです。ところが、そんな時に苗木を持って行ってみたら、村の人たちがそれを裏山に植えて、知らないうちに木がすごく大きくなっていたそうです。ある日、椿さんが村に行くと、木の実が振る舞われ、「これどうしたの」と聞いたら、「あなたがくれた苗木からとれた実だよ」と言われて驚いたそうです。その話を杉山さんと阪本さんがフィールドで聞いて、これって物語にしたら面白いんじゃないかという話になりました。
タンザニアには、村ごとにダンシングチームを持っています。特にこの地方は有名なので、ダンシングチームが夜中に太鼓を叩いたら木が大きくなった、というお話になりました。するとタンザニアの絵描きさんを知り合いの方が紹介してくださって、抑えた色調ですごくいい感じに描いて下さったので、私達だけで楽しむのはもったいないという話になりました。でも商業出版は難しいんですね。そこで、ちょっとドキドキしながらクラウドファンディングをやってみることになりました。

タンザニアに届ける絵本

——最終的にはタンザニアの子供たちに絵本を届けることが目標ですか?

舞台になった小学校を中心に届けたいですね。

——アフリカに絵本の文化はあるのでしょうか?

おじいちゃんやおばあちゃんによる語りなどはありますが、絵本が入ってきたのは最近じゃないでしょうか。自分の本を買ってもらえる子ってあんまりいないので、喜んでくれるんじゃないかなと思います。自分の村で普段見ているダンシングチームが出てくる、自分の日常生活が切り取られてお話に入っているっていうのは、子供たちにとってインパクトがあるんじゃないかなと思っています。タビアちゃんという女の子が絵本に登場するのですが、その子も実際にその村に住んでいる女性です。

——絵本はいつ頃、完成予定ですか?

ありがたいことに皆様の支援で最初の目標は達成しました。今後は5月末まで、ネクストゴールに向けてクラウドファンディングを行い、早ければ夏にも完成できればと思っています。また、学内で学生協力者を募ったところ、15人ほど集まってくれました。先だって結成して引っ張ってくれている宇都宮大学の学生チームと交流会なども計画しています。この絵本を通じて、いろいろと活動の輪が広がっています。

——このほかに、今後、挑戦したいことはありますか。

博士論文をフランス語で書いたのですが、ぜひ学生にも読んでもらいたいと思っています。そのために、日本語に訳して本にできたらいいなと思っているのですが、なかなか手が回らなくて……。
それからマイクロファイナンスや、アフリカの農村部のお金のことも執筆しています。共著で書かせていただいたことは数回あるのですが、単著で刊行したいなと思っています。

メッセージ

——東京外大生や若い人たちにメッセージをお願いします。

私は行き当たりばったりで生きてきて、これからも恐らくそんな感じなんですけど(笑)。でもそれらの経験から感じ、皆さんに言いたいことは、「そんなに悩まなくても、色々やってみればいいんだよ」ということです。私のような生き方はオススメしないですが(笑)。人生は一人一人オーダーメイドなので、好きなことやった方がいいんじゃないかなと思います。最終的には自分で人生の責任を取らなきゃいけないので、その限りにおいては何を選んでもいいんだと思います。ですが人は社会的生き物です。いつも誰かに、何かに、支えられていることへの感謝を自分の中の軸として持ってほしいなと思います。

坂井真紀子(さかいまきこ)
東京外国語大学総合国際学研究院准教授。アフリカ中央部のチャドをフィールドに、農村部の人々の暮らしと開発プロジェクトの関係性を調査。その後、調査地をタンザニアとカメルーンに移し、グローバル化を背景とする人々の生業の多様化とお金の関係の変化を中心に研究を進めている。

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