翻訳ってどうするの?~『二度の自画像』の出版に際して~:吉良佳奈江さんインタビュー

東京外国語大学出版会からは毎年多くの本が出版されています。皆さんも、今までに1度は出版会の本を手に取ったことがあるのではないでしょうか。2021年5月、出版会から初めて本学の学生が韓国文学を翻訳した本が出版されました。

今回のTUFS Todayでは、『二度の自画像』の訳者である、本学大学院総合国際学研究科博士後期課程在籍中の吉良佳奈江(きらかなえ)さんにインタビューをしました。

インタビュー・取材担当:言語文化学部ドイツ語4年・太田愛美さん(広報マネジメント・オフィス学生取材班)

左:太田さん 右:吉良さん

——こんにちは。この度は、『二度の自画像』の出版おめでとうございます!本日はよろしくお願いいたします。

ありがとうございます。よろしくお願いします。

——はじめに、吉良さんの大学院での研究テーマについて教えてください。

今は、外国から来た人たちを小説ではどのように描いているのかという「多文化小説」をテーマとして研究をしています。韓国だと、韓国にやってきた外国人を描いた作品が2000年代の後半から、2012,13年頃まではすごくたくさん出版されていたので、その一連の小説群を研究しています。『二度の自画像』の中の「見送り」という短編は修士論文で扱いました。指導教官は翻訳作業を私の研究の一部に位置づけてくださっているので、研究と翻訳作業がつながっています。

——研究と翻訳作業が密接に結びついているんですね。
韓国文学を研究するようになったきっかけについても教えてください。

元々私は東京外大の日本語学科を卒業して、日本語教師をしていました。その後、8年ほど主婦だった時期があるのですが、その時に子どもの幼稚園に韓国から留学してきた方のお子さんがいらっしゃったんです。日本語学科は韓国語が必修だったので、私は基本的な韓国語が話せました。なので、そのお子さんのお母さんと韓国語を話したり、まわりのお母さんたちと一緒に韓国語を勉強し直したりしました。そうして自分で学習しているうちに、もっと勉強したいなと思い、東京外大に再び入学しました。それから、勉強を続けるうちに「文学って面白いな」と思い、大学院に残って今も研究を続けています。
なので、よく「なんで韓国?」と聞かれることもありますが、最初は自分で選んだものではなくて必修だったから始めたんです。だけど、先生もとっても厳しい方だったのでかなり身についていたのだと思います。

——韓国語を勉強していた経歴があったことと、大人になってから韓国語でお話をする機会があったことで、改めて韓国語に興味をもたれたのですね。
今回出版された『二度の自画像』は、チョン・ソンテさんの作品を翻訳されたものですが、なぜ彼を研究対象にしようと思ったのでしょうか?

韓国文学を読みたいと思った時に、何から読んだらいいかわからなかったので留学生の友人に質問しました。そうしたら、韓国には李箱(イサン)文学賞という日本の芥川賞のような文学賞があって、大賞の作品と候補作の作品が全て一冊の本になったものが毎年出版されていることを教えてもらいました。李箱文学賞の候補集を毎年読んでいけば好きな作品に出会えるとその友人に言われて、それだけは真面目に10年くらい続けていましたね。その時に、チョン・ソンテさんの『セカンドワルツ』というモンゴルと韓国の関係を描いた作品を読みました。私が1990年に東京外大に入学した時、モンゴルは民主化されて間もなかったので、「韓国では、モンゴルは共産国家だから勉強してはいけないと言われたから、日本に調べに来ました」っていう留学生がいたんです。それから何年もたって、今読んでいる韓国文学の中ではモンゴルに韓国人がたくさん行っているというのがすごく不思議な気がして。そこから気になってチョン・ソンテさんを読み始めました。そうしたらこの作家の作品はすごく私の好みだったので、この人の本を作品として翻訳したいとずっと思っていました。『二度の自画像』の短編集は韓国でも評価が高く、受賞もしたので、この作品を翻訳することにしました。

吉良さんが2012年に渡韓した際に、チョン・ソンテさんと、当時ソウルに留学していた友人の方と撮影した写真:左から四人目がチョン・ソンテさん

——『二度の自画像』の内容についても教えてください。
吉良さんはこの作品を読んでどのようなことを考えましたか?

逆に、太田さんはどのようなことを考えましたか?韓国が専門でない方にとっては、背景を知らなかったら難しいものが多いんじゃないかなと思って。

——私は特に「釣りをする少女」が気になりました。セックスワーカーのお話は私にとっては想像しにくく、情景がなかなか想像出来ませんでした。もちろんセックスワーカーについては知っているのですが、実際に文章の形で目にしてみると、思っていた以上に深刻な問題だと感じました。

今、韓国ではフェミニズムの本がたくさん出ています。この本はフェミニズム的とまでは言い切れないんですけど、男性側が「ちょっと女性に悪いことをしちゃったな」と気付き始めて、変わりつつあるぞというところが反映されていると思います。
やっぱり個人の物語が私小説的に自分の中に入っていくだけではなく、社会にきちんとつながっているのはとても韓国文学らしいなと思っています。南北の境界の話とか、外国人のお嫁さんの話とか、本当に今の韓国の現在を切り取っていると思いますね。
また、ベトナム人の女性がお嫁さんに来て悲惨な死を遂げるという小説はたくさんありますが、そのことを前面に押し出さないで、ベトナムのお嫁さんとおばあちゃんとがのんびり川辺で釣りをしているところをさらっと書くのがこの作家らしいなと思いました。

——1つ1つの背景を知ると重い話だけれど、他の作家が暗く書くのと違って、ありのままの事実をさらっと書くのがチョン・ソンテさんの特徴だということですか?

そうですね。必ずハッピーエンドだと言い切ることは出来ませんが、暗くてじめじめした感じじゃなくて。この本の帯にも「心に残る 静かな光」と書いていただいたように、すごく作品が明るい感じがするんですね。カラッとしているというか。優しく人を描いているんだなと思っていて、そこも私がこの作家を好きな理由の1つだと思います。

——そういわれてみれば、1つ1つのテーマは重いと思ったのですが、読み終わった時にそんなに……

ダメージを受けていないというか(笑)。
抽象的な話になってしまいますが、作家によってはいつも曇り空で雨が降っているような暗い作品を書く人もいます。だけど、私はこの作家はいつもすごく晴れていてカラッとした感じの作品を書いている気がして。おそらく、彼の出身地も関係しているんだと思います。彼は韓国の南のはずれにある高興(こふん)郡という、空気が澄んでいる地域の出身で、私も実際に行ってみましたが、本当に空も海も綺麗な場所でした。こんなに明るいところで育ってきたから、光に溢れた小説を書くのかなと勝手に思っています。

チョン・ソンテさんが生まれ育った全羅南道高興郡(チョルラナムドコフングン)の風景

——確かに生まれた場所も関係がありそうですね。
続いて、翻訳作業についても教えてください。吉良さんはどのように翻訳作業を進めていますか?

私は最初に登場人物の関係図を書いたカードを作ります。登場人物の名前や年の差、呼び方など、ドラマの関係図みたいに登場人物の関係性を最初にカードにまとめるんです。作品の中で関係性が変わっていくときに、最初は距離をとっていて「あんた」って呼んでいたのが、後半のこのあたりからは「お前」って呼ぶんじゃないかとか。

吉良さんが翻訳をする際に、最初に作成する制作カード

——登場人物の関係を把握するのは読者にとって大事なことですもんね。
翻訳をする際には、1文1文を正確に日本語に訳すのですか?それとも数行分や段落の雰囲気を考えた上で、日本語らしくなるように意識をされているのでしょうか?

韓国語は日本語とほとんど語順が同じなので、一語一語単語を並べていっても違和感なく訳せてしまうことが多いです。なので、いったんそのように訳してから、おかしなところを手直ししていく感じです。翻訳の自由度がそこまで高くない分、直訳にならないように見直しています。

——より日本語らしくするにはどうしたらよいか考えて翻訳されているのですね。
その他にも、翻訳をする際に何か意識されたことはありますか?私は「釣りをする少女」で、少女が母親のことを呼ぶときに、日本語の「ママ」表記ではなくあえて韓国語のまま「オンマ」と表記していたことが気になりました。

「釣りをする少女」に関しては、少女の世界から見えているお母さんの姿を表現する時に、地の文でも「オンマ」と表記しています。地の文で「ママ」と書いてしまうと幼すぎるし、小学校1年生の少女が「母」というのもおかしいなと思ったので、この作品の中では、セリフ中も地の文も「オンマ」という言葉で統一することにしました。「オンマ」と呼びつつ客観的に描写する娘の視線から、彼女の大人びた様子、大人にならなければならない事情が浮かぶとよいなと思って選んだ言葉です。
「遠足」という作品では、「オンマ」バージョンと「ママ」バージョンの2パターンを作って、この作品だったらどっちがいいかを出版会の方と相談した結果、ママという呼び方にしました。

——作品の世界観によって呼び方を変えているということですね。

そうですね。日本でもありえそうなお話ではパパママ表記にすることもあります。
あとは、書きながら漢字とカタカナと平仮名のバランスを考えていました。例えば「見送り」という作品だと、「ミスク」という韓国人の女性とウズベク人の「ソヤ」という女性が出てくるのですが、あえて名前を漢字とカタカナに分けたかったので、「ミスク」を漢字で「美淑」と表記しました。「望郷の家」という作品でも、漁師のおじいさんたちの名前をカタカナで書くのはポップすぎて嫌だったので、チョンさんに漢字を確認したのですが、彼はそこまで考えていなくて。「じゃあこの漢字はどう?」って音に合わせてその場で決めました。この世代だったらこういう漢字を使っているはずだという感じで決めたので、その部分に関しては日本語版のオリジナルです。

——名前を訳す際にもそのようなやりとりがあったのですね。

あと、私は女言葉を使わないことにすごくこだわっています。特に、翻訳調だと「~だわ」「~よ」みたいな女言葉ってありますよね。でも、私たちは日常生活でそんなに女言葉を使ってないですよね。元々韓国語には女言葉・男言葉ってないので、なるべくそれをださないように翻訳しています。

——それはジェンダー的な問題意識からですか?

その意味もあります。実際に私たちが話していないってこともあるし、女らしいとされている言葉がジェンダー的に求められている女らしさだとしたら、そこには乗っかりたくないなという思いがあるので。
また、韓国の女性って日本人の女性に比べて声が低いんです。なので、日本人の読者が読んだときに、より韓国の女性らしく、力強い低い声で読んで欲しいという気持ちもあります。

——私もドイツ文学のゼミで翻訳について議論するのですが、日本語にする時にどういう風に登場人物らしいセリフにするか作家はすごくこだわっていると思っていたので、女言葉を使わないというのも面白い観点だと感じました。
次に、韓国語の本を翻訳する際に苦労したことがあれば教えていただけますか

『二度の自画像』には多様な方言があるのですが、訳し分けることが出来ず、方言の多様さは切り捨てました。○○地方の方言だったら東北弁/関西弁とも言えないので、区別は出来ないと思いました。韓国映画では、釜山(プサン)のヤクザの訛りは関西弁に訳すといった形式があるらしいのですが、小説では出来ないものなので。また、もっと訛ったバージョンも作ったのですが、これは訛りすぎだからもう少し押さえた方がいいかなども編集さんと話し合って考えました。

——確かに、この本の中で韓国人の登場人物がいきなり関西弁や東北弁の訛りが強い言葉を話しだしたら、「なんで急に?」と読者は感じてしまいますよね。
続いて、翻訳をする際のアドバイスがあれば教えていただけますか。

私は翻訳をする際に、どこかのタイミングで一度全文を声に出して読んでいます。その時に、こんな言い方はしないなとか、こんな風に聞こえるのはちょっと違うなとか、自分で訳したものを音読したうえで書き直しています。句読点の位置も声に出した方が納得出来ます。

——実際に書いているだけだと、間違いに気付けないこともありますもんね。

そうなんです。あとは先ほども言ったように、漢字と平仮名とカタカナのバランスも意識しています。日本語はルビを振ることも出来るので、ページを見たときにそういう部分も気にしました。作品によって、この話はカタカナが多い話だなとか、これはひらがなが多い優しい話だなとか、これはちょっと漢字が多めの重い話だな、なども字のバランスを見つつ考えました。
韓国語は漢字の言葉が多く、直訳していくと漢字だらけになってしまうので、訓読みに直したり、訓読みにしてからひらがなにしたりなど、編集の人と相談しながら考えましたね。

——韓国の社会の話を翻訳する際に、日本人が読むと少し理解しにくい箇所もあると思うのですが、原文にはない韓国社会の説明を付け加えたり、あえて原文にあったわかりにくい表現を削除したりもしましたか?

『二度の自画像』では訳注を最低限にして、解説を多めにしようということを最初に決めてスタートしました。後から、もう少し説明があった方がいいんじゃないって言われたり、自分でそう思ったりした箇所は解説を加えていきました。

——全く違う社会をどうやって伝えるかというのは難しいですよね。
素朴な疑問なのですが、吉良さんは主婦でもあり、学生でもあり、本当に毎日お忙しい時間を過ごしていると思います。どのようにして翻訳をする時間を作っているのですか?

寝ないでやっています、とまでは言えませんが(笑)。コロナの前は東京外大の院生室が23時まで開いていたので、追い出されるまでこもってやっていました。ただ、私は主婦が向いていないと感じていて、勉強している時間や翻訳している時間だけは100%自分の時間だと思えたので、家庭でお母さんをしている時間とは全く異なるすごく貴重な時間でした。
むしろ研究の時間と翻訳をしている時間の方が私にとっては現実逃避であり、楽しいことだったので全く辛くなかったです。

——好きなことをしている時間はリフレッシュにもなりますもんね。
それでは、吉良さんの今後の展望について教えていただけますか。

研究者として研究は続けていきたいのですが、今は翻訳のほうに軸足があります。紹介したい韓国の小説もたくさんあるので、翻訳を続けていきたいですね。今翻訳しているものもありますし。

——チョン・ソンテさんの作品ですか?

全く違うものがいくつか進行しています。その中にはフェミニズムっぽい、グラフィックノベルもあります。

——吉良さんはジェンダーやフェミニズムな問題にも関心をもっていらっしゃるのですね。

それはすごく葛藤があって、戦っているところです。私はさっきも話したように8年間主婦をしていたのですが、我ながらものすごくもったいなかったと思っています。もちろんその期間がなければ韓国語には戻ってこられなかったので、この本は出版されていなかったのですが、もっと頑張って、欲張って両立することが出来たんじゃないかという気持ちがあります。
私は、女性だって仕事も家庭も欲張っていいし、遠慮しなくていいと思っているんです。だって、夫は子どももいて、お父さんで、仕事もしていて、なんで私だけ戦わなかったんだろうって気持ちがすごくあったので。なので、女性にも本当にぎりぎりまで頑張ってほしいし、戦ってほしいし、欲張ってほしいなって思います。
実際この年になってみると、気力と体力と視力がそろっている期間って短くて!翻訳ってパソコン作業なので「すごくやりたい!」って気持ちがあるときでも、目が痛くなったり、立ち上がったら膝が痛くなったりすることもあるので、後回しにしていたらだめだなと思いました。

——私も今のうちにやりたいことを諦めずに欲張っていきたいです。
最後に、後輩へのメッセージをお願いします。

さきほども言ったように、気力と体力と視力のそろっている時間は短いので、色々と諦めないで欲張って取り組んで欲しいです。特に女性には。
『二度の自画像』は短編が12作の非常にボリューミーな1冊で出版するのに5年かかってしまったので、翻訳に関しては、学生でも出せるよと気軽なことは言えないのですが。でも、東京外大の学生だったら、自分で訳して日本に紹介したいなっていう短編を1つ2つ持っている人が結構いると思います。自分で訳してみたけど、どこにも出せないなって、くすぶっている作品も、集めたら1冊分くらいになるんじゃないかな。東京外大生がおすすめの海外の短編を紹介し合う雑誌などが発行出来れば、東京外大から翻訳作品を発信出来るものになるのではないでしょうか。

——東京外大ならではの企画でとても面白そうですね!私も自分の好きな作品を翻訳してみたくなりました。
『二度の自画像』について伝えておきたいことはありますか?

『二度の自画像』は少し大人っぽい作品でもあるので、今学生の皆さんが読んでもピンとこない部分があるかもしれません。是非、皆さんの親世代にもすすめて頂きたいですね。

——私も家族にすすめてみようと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました!

インタビュー後記
初めてのインタビューで至らない点もあったと思いますが、吉良さんの気さくな雰囲気に加えて、自分のゼミの研究テーマと重なっていたことからとても楽しくお話を伺うことが出来ました。特に、色々なことを諦めずに欲張って頑張って欲しいというお話は、吉良さんの人生経験から来るもので、とても胸に刺さりました。私も、自分のやりたいことに挑戦し続けたいと思います。最後に、吉良さんの一層のご活躍をお祈り申し上げます。
取材担当:太田愛美(言語文化学部ドイツ語4年)

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