香田証生さんとアンヘロ・デラ・クルスさんのこと

湯川さんと後藤さんのニュースを見ていると、香田証生さんとアンヘロ・デラ・クルスさんのことを思い出さざるを得ない。仕事に疲れ果てたので、少しナイーブなことを書いてみようかと思う。

2004年7月、出稼ぎ運転手だったアンヘロさんはイラクで武装勢力に拉致された。当時、フィリピン政府はブッシュ米大統領の要請を受けて、イラクに派兵していた。武装勢力はフィリピン政府に、アンヘロさんを解放する条件としてフィリピン軍の撤退を要求する。

アロヨ大統領は、たった一人の命を救うためにアメリカとの関係を悪化させてまでフィリピン軍を撤退させた。別に彼女が人徳者だったわけではない。国内で は、国軍による千人近い左派活動家の暗殺を黙認してきた人間だ。国をあげて「アメリカの戦争のためにフィリピン人が死ぬ必要がない。アンヘロを救え!」と いう声が高まるなかで、もし彼を見殺しにしたら政権が持たないと直感したに違いない。その直感は正しかったと思う。

同じ年の秋、香田証生さんがイラクでやはり武装勢力に拉致される。その時つきあっていた彼女はマスコミで働いていて、上司から連絡が入って福岡の直方市にある香田さんの実家に飛んでいった。とても心苦しい取材をしたらしい。

武装勢力は、やはり自衛隊の撤退を要求する。これに対して、日本では「自己責任」の声の嵐。「国に迷惑をかけるなんて、けしからん」と、見殺しするのが当然といわんばかりだった。そして、当然のように自衛隊は撤退することなく、香田さんは亡くなった。

「自己責任」を掲げて見殺しすることは、あえて危険地域に出稼ぎしていたアンヘロさんにも適用できる。でも、あのときのフィリピン社会はそれをしなかった し、許さなかった。フィリピンでは10人に1人が海外で働いていて、多くの人たちはアンヘロさんに、出稼ぎしている自分の家族や親戚の姿を重ね合わせての かもしれない。

日本とフィリピンの声の違いは、いたく衝撃的だった。フィリピンの声を先に知っていたからか、日本の声が余計に恐ろしくなった。
どちらの声もナショナリズムに訴えた。でも、この違いは何だろう?

10年前、福岡でそんなことを考えたのを思い出す。