著者の辰巳頼子さんから頂きました。福島原発事故から自主避難されてきた家族たちの物語。帰りの新幹線の中で読んでたら、思わず泣きそうに。
それにしても、避難者たちに寄せられる共感ではなく、非難と懐疑の眼差しに心が苦しくなります。フィリピンだったら、困難な状況に置かれた人々にもっと自然な共感や共苦の感情が寄せられると思うのですが、日本では苦しさを苦しさとして語ることさえ阻む何かがあるように思います。
共感されるには、何か特定の道徳的要件を満たさないといけない。下手に被害、被差別、苦しさなんかをアピールすると、徹底的に叩かれる。みなが日々を生きて行くために苦しんでいるから、あえて苦しみを語らざるを得ない人々を嫌悪するのでしょうか。
辰巳さんは、同じ子育て家族という共通項を立てることに可能性を見出していて、それはまったく正しいのだけど、そこにしか共感の回路を作り得ない社会が悲しくも思えます。
苦しみが嫌悪や分断ではなく、むしろ本書のタイトルにあるつながりを生み出すようにするにはどうしたらいいのでしょうね。