卒業生×学長 「相手の価値観を理解するということ」

ゲスト:須崎彰子様(元国連開発計画シリア事務所副所長)

本学外国語学部アラビア語学科を卒業後、日本の民間企業勤務に始まり、そのイラクプロジェクト現地事務所、国連工業開発機関(UNIDO)、国連開発計画 (UNDP) などの国際機関で、中東・アジア地域の支援にあたられてきた須崎彰子さん。国際機関職員としての経験、本学や学生に期待することなどについて伺いました。


林佳世子学長(以下、林学長) 本日はお越しいただきありがとうございます。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により世界の状況が一変するなか、紛争地域などの支援で活躍されてきた須崎さんのご経験などをお伺いできればと思っております。また、女性で活躍されている方は、女子学生にも良いロールモデルになります。どうぞよろしくお願いいたします。

須崎彰子様(以下、須崎様) よろしくお願いいたします。

本学アラビア語専攻での学び

須崎彰子様

林学長 まずは、学生時代のお話をお伺いできたらと思います。須崎さんは、本学アラビア語学科を卒業されていますが、本学を、そしてアラビア語を志望された動機はどのようなことだったのでしょうか。

須崎様 もともと外国には興味があり、高校生の時に1年間、自分の希望でアメリカへ留学しました。進路を決める段階で、高校の先生から「これからは資格や特殊言語が大切」ということを言われまして、ちょうどオイルショック後のことでしたので、学ぶならアラビア語、外国のことを学ぶのであればやはり東京外国語大学、ということで、本学を志願して入学しました。

林学長 入学してみてどうでしたか。

須崎様 教員に対する学生の比率が低いので、1年生からゼミのような感じで楽しかったです。先生と学生の距離もとても近くて、授業の密度が濃く、入学して早々、自分はアラブを知る人材にならねば、という気持ちになりましたね。日本語で書かれたアラビア語の文法書ができたばかりの頃でした。同級生たちにもとても恵まれました。本学の八木久美子教授も同級生の一人です。

林学長 在学中に留学も経験されたと伺いました。

須崎様 はい、4年次に1年間、文部省の奨学金でチュニジアに留学しました。何かを伝えるには、言葉だけではなく、その伝える相手の価値観がわかっていないといけない。価値観をわかるためには住んでみるのがよいのではないか、ということで、留学を決意しました。当時アラビア語専攻の留学先といえばエジプトでしたが、他の留学先も増やそうという時で、私はチュニジア留学組の第1期生でした。当時同級生だった八木教授とチュニジアで下宿を探したりもしましたね。留学前に、エジプト人の先生と話していても、先生が大事だとおっしゃることがなぜ大事かがわからない。ところが、住んでみて、ああこのことか、とわかることはたくさんありました。

林学長 便利な世の中になり、今ではオンライン授業を通じてどこでもいろんな授業を受けられるようになりましたが、やはり現地に身を置いてみるという経験も大切ですね。

卒業後の海外での活動

林学長 卒業後、すぐに国際機関に入られたのでしょうか。

須崎様 最初は民間企業で働きました。チュニジアに1年間留学をして西のアラブを見てきましたので、東のアラブはまただいぶ違うのではないかと興味が高まり、東のアラブで仕事を提示する会社を探しました。当時アラビア語科指定の求人は多かったのですが、勤務条件が厳しい現地勤務を、オファーする会社は限られており、当時はそれに加え、アラビア語科指定の仕事の募集はすべて男性指定でした。

林学長 女性が同等に働くのが難しい時代でしたね。

須崎様 そうですね。でも門を叩けば開くもので、アラブ諸国で家電製品を売る会社と、イラクで変電所を建設する重電の会社の2社の内内定をいただきました。そして変電所の方の会社に就職しました。入社後1年目は国際部で営業をゼロから学び、家ではアラビア語をさらに勉強し、入社してちょうど1年後に、イラクのバグダッドへ変電所建設プロジェクト員として一年半赴任しました。当時、女性の雇用に開明的な会社でしたが、それでも海外工事プロジェクト長期赴任は前代未聞なことでした。

林学長 私もその少し後くらいにトルコに留学しましたが、当時のイラクは発展する可能性のある印象を持ちました。

須崎様 イラクは、インフラの工事に積極的な国でしたね。イラン・イラク戦争が継続中で、戦争が生活に影響を及ぼし、空襲警報を聞くこともありましたが、土漠の村に変電所ができて家々に明かりがつくと、電力インフラの重要性とともに、何かとても良いことをしたような感じがしましたね。そこでは、土木・電気・建築の同僚の方々に、仕事は「段取り八分」ということを教えてもらいました。

林学長 女性ということのデメリットはなかったのでしょうか。

須崎様 アラビア語を使う仕事はすべて任されていましたので、デメリットに感じることはありませんでした。銀行に行く、調達業者への対応、プロジェクト員のビザ管理など、技術以外のことはすべてやりましたね。海外工事現場を知る良い機会になりました。

林学長 日本に帰られてもパイオニア的な役割をされたのではないでしょうか。

須崎様 いいえ、海外法務を業務としましたが、他の女性社員と同じく、早く出社して、机を拭いたりお茶だしをしたりしました。日本の会社の業務のやり方には、知らないことがたくさんありましたのでそれを学びながら、今後の自分の仕事とアラブ諸国とのかかわりを、迷いながらずっと考えていました。

林学長 その後、国際機関で働いていますが、きっかけは何だったのでしょうか。

須崎様 帰国後もアラブ諸国での現地業務を希望しましたが、会社側からは適切な案件がないため、アジアのプロジェクトに参加するか、アラブに限定するなら自分で仕事をさがしたら、とも。ちょうどその頃、外務省がスポンサーのジュニア・プロフェッショナル・オフィサーという若手職員を国際機関現地事務所に期限付きで派遣する制度があることを知りました。面接試験で「アラブの国で業務につきたい」と伝えたところ、国連工業開発機関(UNIDO)のイラク担当として採用が決まり、イラクに派遣されました。2年間の勤務終了目前でそこで湾岸危機に巻き込まれ、緊急退避まで3週間、バグダッドで足止めとなりました。家族には多大な心配をかけ、ようやく帰国した折には二度とアラブ諸国に行かないでほしいとまで言われましたね。その後、イラク勤務時から応募していたUNIDO本部ウィーンに正式職員採用が決定し、東ヨーロッパとアラブ諸国の工業開発支援、特に現地中小企業と海外企業とのマッチング業務を担当しました。ベルリンの壁崩壊後の時期で、東欧の国々への支援業務が主でした。

林学長 アラブ世界から一度離れたのですね。

雨季に入り落石の多い、車幅ぎりぎりの山道をへてたどり着いた貧困対策プロジェクト支援のミャンマーの村では、大歓迎を受けた

須崎様 はい。現地勤務ではなくベースはウィーンです。が、アラブ諸国への出張もありました。その頃に、15年間の内戦後のレバノンに出会いました。訪問のきっかけを作ってくれたのは八木教授でした。そこで、内戦後のレバノンには、国民の間に目には見えづらいとても深い内戦によるしこりがあることを知りました。国を立て直すには、経済や被災したインフラや建物の再建とともに、皆の心が一つになる、社会的融和も大事だとも強く思いました。そこでUNIDOでできることを考え、レバノン再建を工業で支援するプロジェクトを立ち上げました。具体的な工業投資案件に加えて、暗いイメージの残る紛争後の国に付加価値を見つけ、国外の人たちに知ってもらうことが目的です。どのようにストーリーを作っていけるか、レバノンの大学の経営学部長に相談をしているうちに、レバノンのビジネスを知りたいのなら、とMBA留学のお誘いがありました。紛争後国のビジネスを通しての支援を学ぶことも必要だと思い、プロジェクト終了後、職を辞してレバニーズ・アメリカン大学のMBAコースに進学しました。MBAの勉強で世界共通の理論を学び、現地のビジネス慣習を知り、修士号を取得しました。その後の進路に迷いましたが、国連に戻ることを選び、国連開発計画(UNDP)に採用され、ミャンマー事務所へ管理職として着任しました。MBAで学んだ理論はその後各国での管理職勤務に、大変役に立ちました。

村の中では、支援した学校などを案内してもらう。村人の笑顔は今でも心に残っているという

林学長 アジアは初めてですね。それはそれで苦労されたのではないでしょうか。

須崎様 これまでアラブ諸国を中心にやってきたので、全く違う世界でした。そのときに、現地で東京外大の卒業生の方々にミャンマーのことをよく教えてもらいまして、とてもお世話になりました。東京外大の出身の方は、世界どこにいても、何か共通のオーラがあるのですよね。

林学長 東京外大出身の方は、日本人の目線で相手を見るのではなく、現地の人の立場を考える人が多いからでしょうか。

須崎様 そう思います。そのあとは、ニューヨーク本部で、アフガニスタン内戦復興を担当して、出張ベースで現地に渡航しました。その国の人たちが自分たちの手で復興できるように、人材育成を含む復興支援の本部側でのサポートをしました。本学でも、最近は、平和構築や紛争学の分野の専門家を育てていて大変共感しています。

林学長 そうですね。Peace and Conflict Studies(PCS)コースといいますが、アフガニスタンからの留学生が博士号を取得しています。

須崎様 その後南太平洋ソロモン諸島で民族抗争後の開発支援を、そして”アラブの春”の報に、やはりアラブに戻りたい、と紛争中のシリア事務所の管理職に採用となり、被災者への緊急人道支援を行いました。現地では、以前内戦後のレバノンで感じた、国民の心の社会的融和の必要性を改めて感じました。紛争国勤務は、課題の密度が非常に濃く、その解決にはスピードも要求され、勤務時の緊張度は他国勤務時と比較できないほど高く、毎日が終わりのない勉強でした。いつか、紛争国の人たちが、自分たちで優先順位を話し合って決めて、自分たちの手で国の未来を作り上げていく日が来れば、と願っています。

在学生、これから世界で活躍する皆さんにメッセージ

林学長 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響で、留学が難しくなっています。須崎さんのこれまでの経験においても現地で得られることがとても多かったと感じました。リモートで現地の授業が受けられるようになっても、やはり現地でないとわからないこともたくさんあると思います。感染が拡大し始めた頃、大学としては留学中の学生に帰国を求めざるを得ませんでしたが、100名ほど現地に残ることを希望する学生がいました。それぞれの国が体験していることを、自分たちの目で見たいというのです。本当に本学の学生らしいと思いました。

須崎様 その気持ち、とてもよくわかります。共有したいという気持ちですね。良いところだけではなく、難しいところ、なぜ皆が困っているか、ということを一緒に体験し考えるということですね。

林学長 須崎さんはずっとそれを体験し続けてこられたわけですね。

須崎様 そうですね。日本の生活の方が楽かもしれないのに、なぜあえて海外に苦労をしに、と聞かれたこともあります。でも、どの地にいてもわかりあえる何か共通項がある気がします。その一方で、その地の歴史・社会的背景があるからこそ独自の価値観がある。こういう問題に直面したらなぜ現地ではそうするのか、というようなことはその地で体験しないとわからない気がします。

林学長 そういった共通項がある一方で、世界は一つではなく多様であるということが、いろいろな地に行けば行くほどわかりますね。日本社会にも外国の方がたくさん生活するようになり、国内にいても、その点が大切になってきましたね。

須崎様 現在は、新型コロナウイルスの感染予防のために留学しにくい状況だと思います。それでも、いつかきっと現地に留学する、訪問する機会があると思います。リモートでこれまでできなかったさまざまな機会ができましたので、うまく活用しながら、現地に行く夢を持ち続けてほしいと思います。というのは、そこでないと感じることができない価値観があります。Google翻訳のような便利なツールもできましたが、やはり話し手の価値観がわかるかわからないかでは伝え方・伝わり方が全然違います。その意味でも、現地で生活する、現地で学ぶことはとても大切です。私も、進路が定まらず迷ってもどかしい時期もありましたが、いつかは来るチャンスを待って、その間にいろんなことを見聞きできたことはよかったと思いますし、回り道に見えても、いつ終わるかわからない待ちの時間に入っても、全てのことに意味があったのだなと今は思っています。振り返れば、イラクに始まりシリアで終える勤務人生は、アラブを志した者として本懐で、そのきっかけをくれたのが東京外国語大学でしたね。感謝しています。

林学長 なかなか難しい状況ですが、今はリモート留学など、オンラインで提供を受けられるようにさまざまな仕組みを作っていけたらと思っております。世界の感染状況の改善が何よりの願いですが。

須崎様 本学の1・2年生の勉強は、他の大学と比べて厳しいかもしれませんが、言語とその背景となる価値観、人々が作り上げた社会文化を俯瞰することができるようになります。そして、多文化への寛容さと客観的に分析できる冷静さが身につきます。その力は、世界どこに行っても役立つと思います。夢をあきらめずにがんばってください。

林学長 本日はありがとうございました。これからも本学をさまざまな面からご支援いただけましたらありがたく思います。

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