「差別と向き合うために」荒このみ名誉教授インタビュー

東京外国語大学では「Black Lives Matter 運動から学ぶこと―多文化共生、サステイナビリティについて考えるために―」と題し、2020年10月から連続セミナーを開催しています。

その企画に連動して、BLM運動に関心を持つ本学大学院博士前期課程の大学院生・豊坂竹寿さんが、セミナー登壇者などにインタビューを実施しています。
豊坂さんは、本学での研究活動の活性化に学生によった視点からその企画運営に関わる「研究推進・支援インターン」の第1期生として活躍しています。
「インタビューから、講演や授業を聞くだけでは分からない、『研究者たちが研究や人生を通じて、差別や格差、異文化とどのように向き合ってきたのか』という軌跡をたどり、私たち学生が自分たちの未来を考えるための「種」となるような記事を作りたいと思います」と意気込む豊坂さん。

第1弾は、連続セミナーの第1回で講演いただいた荒このみ名誉教授へ「差別と向き合うために」をテーマに、インタビューを行っていただきました。

アメリカ文学・文化研究との出会い

——荒先生はアメリカ文学を専門に研究されていますが、なぜ「アメリカ」なのですか。

荒先生

もともと外国に対する興味があって、英語も好きでした。私は1946年生まれなのですが、当時、戦後に外国と言えばアメリカだったんです。とにかく食べ物が何もない時代ですから、そういう時に育つと、コーラにしてもハンバーガーにしても、アメリカの豊かな物質文化にはやはり心惹かれました。うちは普通の家庭でしたから、私費留学など問題外で、何らかの奨学金を取らない限り、留学なんてできないわけです。それで、私は17歳、高校3年生で、American Field Service(AFS)という奨学金を得て、アメリカのロサンジェルス郊外の家庭にお世話になって9か月間を過ごしました。大学生や研究者を対象にしたフルブライト奨学金制度もありました。アメリカはそのように、戦後すぐに敗戦国である日本の若者たちとの交流にすごく力を入れました。同じ戦勝国でも、イギリスやオーストラリアに留学するというのは、当時ほとんど不可能だったんです。

——留学中、アメリカではどのようなご経験があったのでしょうか。

豊坂さん

アメリカでは、まず宗教に興味を持ち始めました。留学する前に、日本の文部省(AFSの試験は文部省が管轄していました)へ提出する書類に、クリスチャンネームは、という欄があって、アメリカはやはりキリスト教の国なんだなと実感しました。今ではファーストネームは、と変わっていましたが。「宗教」という欄もあり、「キリスト教徒でなければ仏教徒と書きなさい」と指導されました。でも、うちは神棚もあれば仏壇もあるような家庭で、自分のことを仏教徒だと思ったことなんてなかったんです。多くの日本人はそうだと思いますが、生活習慣の中に仏教や神道はあるけれど、信者とは言えません。私を受け入れてくれたアメリカの家庭はメソジスト派の熱心な信徒でした。毎週教会に行き、ご飯の前には「グレース」っていうんですけれど、食前のお祈りを必ずしていました。ある時、ホストファミリーの家族にそういった自分の宗教の話をすると、「ええっ、じゃあ、あんたは無神論者なのか」って、すごく嫌な顔をされたんです。その当時、無神論者っていうのは、アメリカ社会では共産主義者と同じように忌み嫌われていました。共産主義は悪魔だということをテレビドラマ化して放送するような時代でしたから。アメリカ合衆国憲法では信教の自由をうたっていますが、それは何を信じても構わないけれど、信じない自由はない国なんだなと思いました。そのような経験もあって宗教に興味を持ち、帰国後は、お茶の水女子大学の哲学科に進学しました。

留学中、ミュージカル「王様と私」にて、王様を囲む宮廷の女たちの1人として。

——アメリカ文学研究とは、どのように出会われたのですか。

私は旧約聖書について卒業論文を書きました。その時、指導教官に「ヘブライ語もできないのに聖書をやるのか」って、とても馬鹿にされたんですけどね(笑)。でも、あのとき旧約聖書を読んでおいてすごく良かったと思います。というのも、欧米社会を知るには聖書を知らないと分からないんですよね。ぜひ、大学生のうちに読むことをお勧めします。旧約聖書は文学として読めますから、そのような視点から、アメリカのピューリタニズムに興味を持ち、文学研究に入っていきました。修士課程では、19世紀アメリカ・ルネサンスの作家ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』という文学作品について研究しました。
アメリカ文学への関心は、やはり高校生のときの留学経験が大きかったと思います。他人の家に世話になって、アメリカ社会を内側から見ることができた。アメリカって、旧敵国の英語もろくにできないアジアの学生を引き受けてくれるような国なんです。家族の一員として面倒を見るというのは、食事の世話だけではなくいろいろ責任もあるし、大変なことだと思います。私は今、アメリカという国に対してアメリカ研究者としてずいぶん批判もしますけど、一宿一飯の恩義を感じ、アメリカをじかに体験させてくれたことに、常に感謝の気持ちを持っています。アメリカ人の良さも分かっているつもりです。一方で、愚かだなって思ったり、お人よしだなって思うところもあって。そういうものを感受性の強い17歳のときに肌で感じてきましたね。そしてホーソーンを研究しながら、ますますアメリカを知りたいと思うようになっていきました。

アメリカのサン・ガブリエル高校の卒業式で。1964年6月。

——女性研究者のパイオニアとして、ご苦労は多かったのではないでしょうか。

大学院は東大へ進学しました。ところが、いざ就職となったときに男の同級生には就職口ありましたが、女性の場合は非常勤講師でも採ってくれない。初めて明らかな男女差別を強く感じました。あの頃は、今だったらパワハラ・セクハラになるような言葉がポンポン飛んでいました。そんなのは日常で、受け流すほかなかった。就職先を探しても女子大だと「女は掃いて捨てるほどいるから」と言われ、男子が多い大学だと「女の教師は男子学生を抑えられないから戦力にならない」と言われました。「大学っていうのは男の世界だからね」と平気で言われる時代でした。私よりさらに前の世代では、指導教官に「女はフォークナーを研究するな」と言われて女性作家に研究対象を変えた、というような話も聞きました。そういう男の世界の中で、なにで身を守らなくちゃいけないか…、研究です。ある人に「書き続けなさい。書き続けていけば絶対に文章はうまくなる」と言われ、論文を書くことは一生懸命やりました。考えを文章であらわす、表現するということはとても大切だと思いますね。

BLM連続セミナーでの講演について

——BLM連続セミナーの講演「「アメリカの黒人」とは――文学を通して考える」で、最も重要な作家はトニ・モリスンだと思いますが、モリスンの作品を読むようになったきっかけを教えてください。

その後、中央大学法学部で5年ほど英語教師をやり、そのあと津田塾大学で10年間、教師として英文科のアメリカ文学を担当しました。そのときアメリカ文学担当の教師が私のほかに2人いらして、私より年上でしたから、いわゆる重要な作家については彼らが教えていました。私はその隙間を埋めていかなくてはいけない。津田塾大学で教え始めたのは1982年でしたが、70年代80年代というのは、日本でもアメリカでもフェミニズム運動が盛んになっていく時代で、同時にマイノリティの作家たちが出版できるようになった時代でもありました。現代のフェミニズム、あるいはマイノリティ作家、黒人女性作家のアリス・ウォーカーなんかが代表的な存在ですが、私はそういった現代の作家たちを紹介するような授業も受け持つようになりました。そのような領域を担当する中で、トニ・モリスンにも出会いました。当時、日本のアメリカ文学研究では、まだ先住民アメリカ・インディアンの文学にほとんどの人が目を向けられていなかったのですが、現代アメリカ先住民文学の女性作家レスリー・マーモン・シルコウの作品に感動して日本に初めて紹介しました。アメリカ社会がマイノリティや女性に関心が向かっていった時代で、私もそれを追いながら、現代のアメリカ文学の展開、アメリカ社会の実情も理解するようになりました。

BLM連続セミナー第1回講演の舞台裏の様子

——トニ・モリスンは、荒先生にとってどのような作家でしょうか。

トニ・モリスン学会賞を受賞(トニ・モリスン事典の翻訳で)2008年7月、チャールストンで。

トニ・モリスンはとにかく「すごい」と思いました。あのような作家がアメリカに誕生したことは、大げさに言えば「革命的」だと思います。きわめて反抗的な精神の持ち主で、強い自我というか、強い自分を持っている作家です。彼女は一匹狼なんです。トニ・モリスンは、「自分は政治的である」、 “political” という言葉を好んで使います。日本の研究者たちも「政治的である」というように訳しますが、アメリカ人が “political” と言うときには、狭義で「政治的」になるということではなく、普通の日常生活の一部を意味します。「政治的である」というよりは、「社会に関心を持っている」、「常に社会というものに目が開かれている」のが “political”な姿勢なんだと思います。モリスンの場合は、Black Lives Matterでも、おそらく行進には参加しないと思うんですよ。なんといっても文章による表現者ですから、その戦いの場は、表現する場なんですね。誰もかれもがデモ行進すれば、政治的に参加することになるのではない。ただ一人で強い信念を持って「行動する」ことのほうが大変なわけですよね。アクティヴィストとして団体で行動したほうが、仲間意識を持てるから、ある意味で楽なところがあります。ところがトニ・モリスンはものすごく強い人で、一人で大丈夫な人、個人でいることを大切にする人なんです。その姿勢はきついが、それくらいきつくないとアメリカ社会では戦えない、暮らしていけない。
私は実は子供のころとても無口で、社会とうまく繋がっていくのが苦手でした。小学校では先生に呼ばれても返事をしない、うんともすんとも答えず、頑なで何も言わない、本当に変な子供でした。現代の作家でマキシーン・ホン・キングストンという中国系作家がいて、『女武者』という本を書いています。その中で作家らしき主人公が「6才の時まで私はだんまりの子であった」と語っています。その子は中国語を話す家庭環境からアメリカの小学校に通うわけですけど、先生が英語で話すことは分かっているのに、とにかく喋らない。私もそれと同じだなと思って、大いに共感してしまったことがあります。だからトニ・モリソンの自我の強い性格とも、私はどこか通じ合うものを感じています。向こうはもちろん偉大なる作家ですけれども(笑)。

——ご講演の中で「アフリカン・アメリカン」という呼称の問題についてお話がありましたが、「言葉・呼称」と「政治・差別」が切り離せないというお話は、大変興味深いと思いました。

アメリカ合衆国は最初から矛盾にあふれた国です。最初の矛盾は何だったかというと「無人の大陸だった」という前提が、無人じゃなかったこと。先住民たちがいたわけで、その中で、自分たちが土地所有者になりたいから、現実は無人ではないのに「無人である」という説明を、自分たちを納得させるように、でっちあげていくわけですよね。「かれらはキリスト教を信じない異教徒であって、だから悪魔(サタン)であり、人間ではない」。そのような発想で説明していくわけですよ。アメリカって「言葉の国」だと思います。近代になって出来上がった国家だから、すべて言葉で説明していかなければならない。記録をものすごく大切にして、しっかり保存していきます。そして、一定の時間がたつとそれを一般に対してオープンにする。私はマルコムXの本を書きましたけど、これができたのはFBIの資料のおかげです。FBIのファイルは簡単に見ることができますからね。面白かったですよ。アレン・ギンズバーグっていうビートニクの詩人がいますが、あるとき「僕はもう日記を書くのをやめた」と言うんです。なぜかっていうとFBIが記録してくれているから、そっちの方が詳しいから、と(笑)。19世紀の初めに活躍したワシントン・アーヴィングという作家がいますが、ある作品の中でアメリカを揶揄して “Logocracy” 、つまり「言葉の体制」の国だと言っています。あるイスラーム教徒がアメリカにやってきたという設定で、アメリカ社会を批判します。その政治体制について、「議場で風が吹きまくっていた」と。「風」というのは言葉を意味します。いろんな人がいろんなことを言って、無意味な風がビュービュー吹いていたと。

大学、学生の役割

——荒先生は長年、大学で教鞭を取ってこられましたが大学の活動をどのように考え、意義付けておられますか。

日本の政府があまりにも大学教育、特に人文教育を蔑ろにしていると思いますね。その根底には、アンチ・インテレクチュアリズム、否定的な反知性主義の考えがあります。アメリカの「Qアノン」や「プラウド・ボーイズ」なんかもそうですね。ネガティブなアンチ・インテレクチュアリズムは絶対に正しいことではないと私は思っています。大学はとても重要な場所であると思います。教育や研究をするだけじゃなくて、大学の根本をなす自由。のんびりする時間、心豊かになる時間、人生の流れの中で社会に出ていく前にそういうことができる最後のチャンスでしょう。社会に出れば、資本主義支配のもとで働く、お金を稼ぐことが大切になっていきます。大学は自由な発想が許されるはずなのに、「あれを教えちゃいけない、これを教えちゃいけない」とか、「文学はもうやらなくていい」と制限されてしまっている。実学、手に職を持つ、それだけが大学の役割ではありません。大学はもっと自由なインテレクチャリズムが発現するような領域じゃないといけないと思います。規則でがんじがらめにするなんておかしなことで、そのような締め付けを政府はやってはいけないのです。

——私たち学生が差別という問題と向き合う上で、できることは何でしょうか。

私は「アメリカの黒人」関係の本を読んだり研究をするだけではなく、彼らアフリカン・アメリカンと付き合ってきましたが、「アメリカの黒人」の心の痛みや差別に対する感覚というのは絶対に分からないと思っています。その中で私たちに何ができるかというと、学び知ることにより、いかに自分が柔軟に心を広く持てるかということだと思います。知識という基礎をもとにして、あるいは感覚をもとにして、さまざまな人々の異なる意見、異なる文化、異なる習慣を自分たちが受け入れる、あるいはかれらのものとして認める。人それぞれ考えかたは違いますから、自分がその習慣や姿勢に染まる必要はなく、そういうものもあるんだと知るということが大切だと思います。本を読んで、いろいろな意見を聞いて、勉強することだと思います。

——最後に東京外大生に向けて一言、お願い致します。

東京外大の学生さんたちには、なるべく広く外に出て、いろいろな形でいろいろな体験をして欲しいと思います。専攻するものを勉強するだけでもものすごいエネルギーと時間が必要だと思いますが、20歳前後の精神形成の非常に重要な時期に、狭い体験だけではなく、理科系の人と付き合うとか、自分とは異なる勉強をしている人々を知ると、いかに言葉(考えかた)が違うかを知ることになります。どんどん外に出て行って欲しいと思います。

荒このみ(あら このみ)
アメリカ文学・文化研究。博士(文学)。東京外国語大学名誉教授。著書に『マルコムX 人権への闘い』(岩波新書2009年)、『歌姫あるいは闘士 ジョセフィン・ベイカー』(講談社2007年)、『黒人のアメリカ』(ちくま新書1997年)など。訳書にトニ・モリスン著『「他者」の起源』(集英社新書2019年)、マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』(岩波文庫全6巻2015-16年)など。

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